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いのち・・・Ⅲ


いのち・・・Ⅱで取り上げさせていただいたブログ

     
⇒ 《幻想風景》心のページ

読ませていただき、
何かひとつの答えを頂いたようにも感じております。
職業として・・・
そのブログで例にあげられた『議員』
他のブログでは『先生』として記事に書かれておりました。
考えるところ、身近なところ『嫁』『姑』『妻』『母』
そう置き換える事もできるように思います。

       「・・は楽でいい」という発言

『議員』でないのに『議員』は語れない。
『先生』でないのに、そのすべては解り得ない。
『父』であれば『母』にはなれない。

『私は一生懸命頑張っている』というその思い
何にせよ、本人が一生懸命に打ち込んでいるものに
否定的な事を他人から言われたとしたら
誰しも憤りを感じるのではないでしょうか。
『どれだけ自分が頑張っているのか』経験もないのに・・
そう・・・
私もそう言葉を発し、また相手に『あなたは楽』だと
言ったことがあったと思い返して・・・(涙)

教師という立場。
教師は大変な職業だと思っております。
それは『母』に通ずるものがあると・・・
『人を育てる』ということにおいてそう感じるのです。
でも、『母』は自分の子供だけを見続けること。
教師は受け持つ子供を見続けること。
『母』のようにといわれても、その人数に限界があると。。
ただ、言えるのは
どちらも『手を抜けば』抜いただけの結果になる。
そして、その結果はすぐには出ないという事。

周りからみて『先生は楽』というのは簡単かもしれません。
そう発言するには、そう思える教師の存在が近場にあり
つい出た言葉かもしれませんが、
教師は楽な仕事ではありません。
子供一人一人に関わり、それぞれ違った個性というものを
理解したうえで、向かわなくてはならないからです。
それを怠ることは、本来、教職を選んだことを恥じる行為。

熱意を持って選んだ職業なのに。何年か経過すると、
その熱意の欠片もない人がいるのも事実。
どんな職業についたとしても、『手を抜く』ということを
人は覚えてしまうのかもしれません。
でも、その事を許されないのが教師ではないでしょうか。
といっても、教師も人間。
完璧な教師なんていないと・・・
それでも、『一人の子供の母』であれば
『手を抜く教師』は絶対に許さないという思いが
強いのかもしれませんね。
子供の為になら『母』は・・・と『母性』があるから

私は教師ではないけれど、考えるに・・・
教師側からいえば、しつけは家庭でするべき。
学校という場所は・・・
勉強(知識)を身につける場所、人(友達)との繋がりを通して
社会に出る為の準備をする場所。
多くの人と関わり、価値観の違いを学ぶこと。
自分磨き。精神面での力を養う
(感情・・欲求や行動の抑制 = 調和)
などと考えているのでは?

家庭からいえば・・・
自分の子供の事をより多く見ていてください。とか
子供の心を理解してください。とか
勉強できる子供に育ててください。
(勉強するように言ってください)とか
すべてを学校に任せているのだから、
何も問題が起こらないように、虐められたりしないように・・
友達が多くできるように・・・
楽しい学校生活を送らせてほしいとか
そんな思いなのかもしれません。
実際にそういう電話が多いことか・・・

と書いていて、なんと恥ずかしいことでしょう。
そう思ったりしている自分がここにいる事
親失格、教師失格という言葉が頭をよぎりました。
TVの事件が耳の奥で響きます。

勉強は自分(子供自身)の為のもの
楽しい学校生活は、楽しい家庭から・・・
虐められないように?そんな不安は自分(親)が蒔いた種。
何かのせいにして、子供が自暴自棄になるとしたら
それは『母』として『父』としての育て方に問題があったと
そう考えなければならないのかもしれません。

そうならないようにするのには・・・??
そんな答えがあったのなら、
何も問題が起こらなかったのでしょうか?
『子供達の心と会話する』『心で会話する』
『心のアンテナを立てて』
自分はどれだけそうしてきたのでしょう。
自問自答の毎日、情けない限りです。

それも多くの人に支えられて今、生きている。
何とか生きている感じだというのだから
とってもお粗末な話です。

RYUさんのブログの問いかけ・・・
なぜ苦しいのか?大事な人達を哀しませているから

なぜ悲しいのか?
共に生きてきた記憶という、
私にとっての宝物を消してくれといわれたから
それはそれぞれの子供
ひとり人間の生きた記憶は消えなくても
共に過ごし生きた記憶を消すという事
それが悲しくて涙があふれてきます。

いつまでも過去の想い出に固執して
輝く未来を台無しにするという人がいるのなら
その考えも・・・
一つの考えてとして受け入れたいと思っております。
愛する子供達が不幸になるなら
秋葉原の事件。両親の不仲が取り上げられてました。
掲示板に書かれた不満。
思いあたることが親なら一つはあるでしょうか?
その不満を取り除いてあげられたら
事件は起こらなかったのか?

自分の人生が上手くいかないとして
それを誰かのせいにするのなら・・・
そういう風に育ってきた人の哀しみは如何許りか
それが子供であったのなら・・・
でも、成人して犯した罪。
何とむごいことでしょう。将来ある人を何人も・・・

進むべき道を、踏み外してしまいそうになった時
親が導けないのなら、どうしますか?
誰かに導いてもらわないとならないのか
それは教師なのか?それともいったい・・・

教師である親はいったい何をしているのか。。

私の愛する人達。一度だけの人生。。
転んでも立ち上がり歩いていってほしい。
どんな親のもとに育とうと・・・
自分自身の足でしっかりと地を踏みしめて
誰のせいにすることなく、自分で選んだ事として
すべてを受け入れ、後悔や挫折があったとしても
バネにして壁を乗り越えて、また進んでいってほしい。
それを彼らに教えなくてはならない事。
どう話してよいか?とっても難しくて悩んでいます。

私の目の前で震わせて泣いている背中。
苛立ちから壁をたたく拳。
それでも私の背中をさすってくれる
優しく温かい小さな手。毎日、気が狂いそうになる。
その哀しみを思うと・・・
強くなれない自分。
守れない自分。何もしてあげられない自分。
情けない。

RYUさんのブログでご紹介されている
>「心は工なる画師の如し」
>「"自分の心″は優れた画伯のように、
  世間の環境(状況?)がどうであれ、
  いかようにも描き、創り上げていくことができる」

とおっしゃられていること。
その事を話して聞かせてあげたいです。
『こんな家庭環境だから仕方がない』などと
嘆き哀しむことなく、まっすぐに育つように・・・
自分の足で歩くという事。。

私がある方に教えていただいたように
彼らに上手く伝えられたら・・・

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。
ご無沙汰しておりました。

私が前の職場で教わった事
教育とは≪共育≫とも、書くのです!!!
ごもっとも。。。


投稿 クコ | 2008年6月13日 (金) 09時40分

クコさんと同じです。
高校の恩師から、「教育」は「共育」と書くんですよ、共に育む・ですよ、と教えていただきました。
親も子供も同級生なんですよね。
子供を持った時から、親としての時間が始まるわけですから。
一緒に悲しんだり苦しんだり、そして喜んだりしながら「人間」として成長していくんですよね。
そういう風に生きていけたらいいですよね。
人間は経験して初めて知るんです。
「悲哀」「後悔」「歓喜」・・・。
経験しなくちゃわからないと思うんですよ。
「感情」というものは・・・。
頑張るのはしんどいから(笑)とりあえず、ふんばってみましょう。

投稿 りき | 2008年6月14日 (土) 18時28分

追記
「育児」は「育自」・・・育てる自分・・・だそうです。

投稿 りき | 2008年6月14日 (土) 18時31分

今晩は。

御挨拶が遅くなりました。
記事の紹介をありがとうございます。


改めて、記事を拝見しました。
経験したことのない人にはわからない悲しみ、苦しみ。
確かにそうかもしれませんね。

でも、ある経験をしている事によって、判る悲しみもあると思うのですよ(一般論として)

不安を抱えたまま、歩むのは辛いかもしれないけれど、その不安を同じ不安でも、「必ずこうする」と、決意して踏み出すことも大切なのではないかも知れませんね。

踏み出すこと自体が不安と言われれば、それまでですが……。

お体大切にしてくださいね。
では、また。

投稿 Ryu | 2008年6月16日 (月) 01時06分

クコさん。。おはようございます。
こちらこそ、ご無沙汰しております。
コメントを頂いていたのに、
お返事が遅くなってしまってごめんなさいね。


教育とは≪共育≫とも書くという事
教えていただいたのは貴女でしたね。
あの時の貴女のコメントを思い出しました。

再び、その言葉に出合って色々考えました。
良い機会を与えてくださって
本当に有難うございます♪

壁に突き当たって、
何度も乗り越えてきた貴女の存在。
とっても心強く感じております。
私も貴女のように頑張らないと・・・

どうもありがとう^^*)

投稿 クコさんへ | 2008年6月19日 (木) 10時03分

りきさん、おはようございます。
いつもコメントを頂き有難うございます。
お返事が遅くなってしまってごめんなさいね。
>「教育」は「共育」と
共に育むという言葉はいい言葉ですね。
>『親も子供も同級生』
その言葉を聞いて、何だかほっとしてしまいました。
ありがとうございます^^*)

感情がコントロール出来ない今は、
薬に頼ってばかりですが、
そして、子供達の方がよっぽど大人で
情けない事ですが、
これから心を強くして
立ち向かっていきたいと考えてます。

余裕がない状態かもしれませんが
未来の為に・・・踏ん張りますね♪
遠い空からの応援。いつもありがとう♪

投稿 りきさんへ | 2008年6月19日 (木) 10時19分

りきさん。。
>「育児」は「育自」・・・育てる自分・・・

また一つ素敵な言葉を教えていただきました。
どうもありがとうございます♪

昨日、父と紫陽花のあるお寺に行きました。
後日、アップしますので
また遊びに来て見てくださると嬉しいです。

投稿 りきさんへ | 2008年6月19日 (木) 10時32分

Ryuさん。おはようございます。

今回の記事では大変お世話になりました。
リンクさせていただき有難うございます。

人にはそれぞれ生きてきた道がありますね。
あなたに比べると・・・
という比較にはならない事なのですが
私は甘いのかもしれません。
ぬるま湯につかって生きてきたと
言ってもよいかと反省しております。

そこでわいた問題。
『決意して踏み出すことの大切さ』を
教えて頂き何と申し上げてよいか。。。
本当に有難うございました。

踏み出しても、踏み出さなくても
苦しさがある事がわかって
中々踏み切れないのが現実ですが

でも、問題を抱える中で
私には『支えてくれる人がいる』という現実
こんなに幸せな事はないと
実感する出来事が昨日ありました。

『どんな状況でも懸命に生きるという事』
心に強く持ち、踏ん張ってみたいと思います。
心からのお言葉
ありがとうございました♪

投稿 Ryuさんへ | 2008年6月19日 (木) 10時50分

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